「タイタニックのとりこ」の父喜ばせたくて、タイタン搭乗の19歳大学生 ツアーにためらっていた

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「カウントダウンがあるけど、何に向かっているのかわからないような、本当に悪い映画に巻き込まれた気持ち」と明かし、それを考えると息苦しく、自分が息を吸うのにも苦労する「今までに経験したことのない」状態だったと語った。

アズメさんとシャザダさんは、一族の名を冠したパキスタン有数の企業「Dawood Hercules Corp.,」の会長の子息だった。シャザダさんはカラチにあるエングロ社の副会長でもあり、チャールズ国王が設立した慈善団体の顧問も務めていた。

シャザダさんは幼い頃から、タイタニックの「絶対的なとりこ」だったという。家では1958年のイギリスの映画でタイタニックの沈没事故を題材にした「SOSタイタニック/忘れえぬ夜」をよく観ていた。

夫と会わせた時、シャザダさんが、タイタニック号の4時間におよぶドキュメンタリーを観ないかと尋ねたこともあった。回収された遺物の展覧会を観にいくのが好きだったという。そのため、弟がツアーチケットを購入したことを知った時も驚かなかった。

最近では疎遠になっていたという。

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2014年に進行性の多発硬化症と診断され、車椅子生活となったアズメさんは、イギリスよりも医療用大麻を入手しやすいオランダに移った。シャザダさんはこれに反対していた。

「彼はベイビー・ブラザーだった」と声を詰まらせ、「彼が生まれた時、抱きしめたの」と、帰らぬ弟との幼い日の思い出を振り返った。

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