エプスタイン パスポートめぐる新事実が明らかに

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過去の裁判資料が公開され、改めて関心が高まっている故ジェフリー・エプスタイン元被告の性的人身売買事件。

先週機密が解かれた資料は、2015年にギレーヌ・マクスウェル受刑者と性的犯罪の被害の告発者の一人、バージニア・ロバーツ・ジュフレ氏との間で争われた名誉毀損訴訟に関するもので、申立文書、当事者や証人の証言録取、通信記録など4,000ページを超える資料から成る。

訴訟は2017年に和解したが、一部の記録はプライバシー上の問題から機密とされるか、または名前が伏せられてきた。公開された資料には、クリントン夫妻やトランプ前大統領、アル・ゴア元副大統領など政界の大物から、レオナルド・デカプリオ、マイケル・ジャクソン、デビッド・カッパーフィールド、ケビン・スペイシーなどのセレブ、英王室のアンドルー王子と元妻セーラ・ファーガソン、イスラエルのエフード バラク元首相といった外国要人の名が含まれる。ただし、一部を除いて、大半の人物はわずかな言及があるだけで、犯罪への関与や不正行為で告発されているわけではない。

パスポートの追加発行を要請

そうした中、ABCニュースは15日、情報公開法に基づいて入手した資料から、エプスタイン元被告がイスラエル、ヨルダンやサウジアラビアを含むアラブ諸国への渡航に際して、国務省に追加のパスポートを複数回申請していたと報じた。

それによると、エプスタイン元被告は2003年、会社の代表者を通じて「安全とビジネス上の理由で、エプスタイン氏が2つめのパスポートについてフレキシブリティを備えていることが不可欠である」と説明していた。

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2年後の2005年春、イスラエルとアフガニスタンへの渡航に関連して、追加のパスポートを要求した。申請に伴って提出された渡航計画にはファーストクラスを2回予約していたことが示されているという。計画ではロンドンからテルアビブに向かい、数日後にイスタンブールに移動してアゼルバイジャンのバクーを経由してカブール入りするというものだった。計画通りに行動したかは不明だが、カブールを発つ日に当時の国防長官、故ラムズフェルド氏が予告なく同都市を訪問し、ハミド・カルザイ大統領と記者会見を開いている。

2011年6月にも、国務省に宛てた書簡で2つめのパスポートを緊急要請していた。書簡では、国際金融コンサルティング会社の社長を名乗り、「極めて急な依頼で、海外旅行をスケジュールするよう要求されることがよくある」と説明。「旅程は複数の目的地にまたがり、同時に複数のビザを取得することが要求され、2つめのパスポートがなければ不可能」と事情を述べていた。この時の計画では、数週間をかけてフランス、シエラレオネ、マリ、ガボンを訪れるとしていた。

米国務省の方針では、頻繁に海外を訪問する者で、とりわけ特定の国のビザスタンプが別の国のビザ取得の妨げとなる場合、2つのパスポートを携帯することを許可しているという。

このほかにも、エプスタイン元被告は紛失または盗まれたとして、1980年代に3度にわたりパスポートを再発行していたという。

パスポートをめぐる不可解な点はこれだけではない。FBIは2019年7月、マンハッタンにあるエプスタイン元被告の自宅から複数のパスポートを押収したが、この中に、1982年発行のオーストリアのパスポートが含まれていた。写真は本人だが、偽名が使われ、サウジアラビア在住とされていた。検察によると、パスポートには、フランス、スペイン、イギリス、サウジアラビアを含む複数の出入国を示すスタンプが押されていた。これに対して、エプスタイン元被告の弁護士は当時、裕福なユダヤ教徒は中東で標的にされとし、「誘拐犯やハイジャック犯、テロリスト」に提示する「個人保護」のために取得したものだと説明。さらに、パスポートが実際に使用された証拠はないとも主張していた。

ABCニュースの報道に、ネットでは「捜査が再開されなければならない」と、エプスタイン事件の真相究明を求める声に加え、「マクスウェルの父親はモサドのアセットだった。これが、これらの地域への急な依頼を説明するものだ。政治的な脅迫作戦が行われていた」「彼はスパイだったという説がある。総合すると本当かもしれないね。特に彼の死に方。自白は許されなかったんだろう」など、スパイ説を支持するコメントが投稿されている。

エプスタインスパイ説とは?

英国生まれのジャーナリスト、ヴィッキー・ワード氏は2021年のローリングストーンの記事で、故スティーブン・ホッフェンバーグ氏が以前、エプスタイン元被告は「諜報分野」に足を踏み入れていたと話したことがあったと明かしている。

1970年代に債権回収会社「タワーズ・フィナンシャル」を設立したホッフェンバーグ氏は、90年代に史上最大規模のポンジ・スキームを働いたとして起訴、1995年に有罪を認めた。刑務所に18年間服役し、2022年に他界した。80年代後半、エプスタイン元被告は、タワーズ・フィナンシャルのコンサルタントを務めていた。

ホッフェンバーグ氏によると、エプスタイン元被告は1980年代に投資銀行のベア・スターンを退社した後に、海外に資金を移動する訓練を受けた。この時のメンターが英国の軍事産業関係者のダグラス・リースという人物で、エプスタイン元被告はリース氏を通じて、ヨーロッパの貴族社会や兵器ビジネスの関係者に通じていった。この中に、サウジアラビアの武器商人のアドナン・カショギ氏やギレーヌ・マクスウェル受刑者の父、ロバート・マクスウェル氏も含まれていたという。

ホッフェンバーグ氏は、エプスタイン元被告は、マクスウェル氏とリース氏を通じて「恐喝や斡旋、情報取引」など「非常に深刻で危険なレベル」の「国家安全保障に関わる問題」に関与していると話したという。

マクスウェル氏は1991年に自身のヨットから転落し、不可解な死を遂げた。当時イギリスの議会では、マクスウェル氏のメディアグループ傘下のデイリー・ミラーの編集者が、イスラエルのエージェントだった疑惑について捜査を求める声が上がっていた。議員の中には、マクスウェル氏がイスラエルの諜報機関と密接な関係にある可能性をめぐって、懸念を表明する者もいた。

ABCによると、イスラエルのエフド・バラク元首相はエプスタイン元被告と長年の親交があったことを認めており、エプスタイン元被告を「10回以上、100回以下」訪問したことがあると公言している。エプスタイン元被告がヴァージン諸島に所有していた島にも1度訪問したことがあるとしている。ただし、2019年のデイリービーストのインタビューでは、「女性や少女と一緒に」会ったことはなく、パーティーに出席したことはないと語っている。