エプスタイン機密文書 ウォール街で自殺したロシア人スーパーモデルの名も

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今週から機密の解除が始まったエプスタイン事件に関連する法定文書の中に、2008年にマンハッタンのウォール街にあるビルから飛び降りたロシア人スーパーモデル、ルスラナ・コルシュノワさん(当時20歳)にまつわる通信記録も含まれていた。

資料は、2015年にギレーヌ・マクスウェル受刑者と性的犯罪の被害の告発者の一人、バージニア・ロバーツ・ジュフレ氏との間で争われた名誉毀損訴訟に関するもので、申立文書、当事者や証人の証言録取、通信記録などから成る。

コルシュノワさんの名前は、被害女性たちの弁護活動を初期から務めるブラッド・エドワーズ氏とジュフレ氏との間で2011年5月に交わされたEメールの中にある。

コルシュノワさんに関するニューズウィークの記事とともに、本人に見覚えがないかと尋ねるエドワーズ氏に、ジュフレ氏はお悔やみの言葉を述べた上で、「彼女とは一度も会ったことがなく、お役に立てずに申し訳ありません」と返答した。

デイリー・メールによると、コルシュノワさんの名前は、エプスタインの自家用機の搭乗者リストにも記録されていた。搭乗日は2006年6月7日で、エプスタインがヴァージン諸島に所有するリトル・セント・ジェームズ島を訪れていた。同島はロリータ島といった醜い愛称で呼ばれ、多数の少女が性犯罪の被害にあったとされる。

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エプスタインはこの数週間後にフロリダで逮捕され、2008年から13ヶ月間服役する。

ニューヨークポスト紙によると、カザフスタン出身のコルシュノワさんは、15歳で才能を見出され、まもなくニューヨークに移り住んだ。短いキャリアの中で、マーク・ジェイコブス、DKNY、ヴェラ・ウォンといった有名ブランドの広告に起用され、フレンチ・ヴォーグの表紙を飾るなどした。英国人ジャーナリストのピーター・ポメランツェフ氏は、コルシュノワさんを一躍スターダムへと押し上げたのはニナ・リッチの香水のCMだったとしている。

モデル界の頂点へと駆け上ったコルシュノワさんが死亡したのは、2008年6月28日。21歳の誕生日を数日後に控え、ウォール街のビルの9階にある自室から投身自殺をはかった。部屋に争った様子や遺書はなく、遺体から薬物やアルコールは検出されなかった。

当時ニューヨークポスト紙は、捜査関係者の話として、自宅のコンピューターに憂鬱な思いが綴られた記録が発見された報じた。

コルシュノワさんは、複雑な恋愛関係にあったとされ、長く交際を続けたアルテム・ペルチェノック氏と別れ、マーク・カミンスキー氏と交際を始める一方、友人の証言では故郷にも交際相手がいたという。

先述のポメランツェフ氏によると、コルシュノワさんは死亡当時、エリートのカルト集団とされる「Rose of the World」に入会していた。

1970年に米国で設立された同組織は、1980年に閉鎖された後も、ロシアを含む各国にある支部が存続しているという。会員らは、ポメランツェフ氏が「非人間化」治療と呼ぶところの3日間のコースに1,200ドルを支払い、そこでは「コーチ」が、メンバーに最悪の経験を共有することを要求し、人生のネガティブな側面をすべて自分の責任にするよう助長するという。

同組織のリーダーを自称する男性は、「コルシュノワは典型的な犠牲者で、変わることよりも自殺をする方が良いこともある」などと語った。また他のメンバーは、ポメランツェフ氏に「コルシュノワは、われわれが”後退”と呼ぶものを経験していた。彼女は奇妙に感じていて、何をするでもなく街を彷徨う姿も見られていただろう。泣いていたかもしれない」と述べる一方、「彼女は自殺をすることはできない。われわれは彼女が抱えていたであろうすべての問題を治した」と、自殺を否定したという。