ヘンリー王子 女王の死知らされるのに3時間以上かかったのはなぜ?

先月96歳で死去したエリザベス女王の死因が老衰だったと正式に発表された。死亡診断書によると、死亡時刻は9月8日午後3時10分だが、ヘンリー王子が女王の死を知ったのは午後6時半頃と、知らされるまでに3時間以上かかっていたことが分かった。

女王が死亡した時刻にその場にいた王室メンバーは長男のチャールズ国王とその妹で長女のアン王女の2人。孫のウィリアム皇太子、次男のアンドルー王子、三男のエドワード王子と妻のソフィー妃は、女王がいたスコットランドのバルモラル城に向かう英王室空軍機の中で死を知らされたと見られる。

ヘンリー王子はメーガン妃を連れて行くかどうかをめぐって対応が遅れ、イングランドのルトンをプライベートジェットで出発した時には午後5時35分、スコットランドのアバディーンに到着したのは午後6時47分だった。女王の死を知らされたのは飛行機の中にいた午後6時25分と、一般に公式発表されるわずか5分前だったという。

ちなみにトラス首相に対しては、午後4時半には女王の死が知らされたという。

デイリーメールによると、チャールズ国王は当日早い時間にウィリアム皇太子とヘンリー王子の息子2人に女王の危篤をすでに伝え、早急にスコットランドに向かうよう指示していた。女王の死去についても2人には公式発表より先に、直に女王の死を伝えることにこだわっていたという。

英王室はこの時間差についてコメントしていないが、王室内部を知る人物らはチャ―ルズ国王について、アナログ志向で携帯電話を持っていないことを明かしている。家族への電話も通常はスケジュール帳に“予定を入れて”おかなければならず、王室メンバーがチャールズ国王に連絡する場合はスタッフを介するか、緊急時には国王の護衛に連絡することもあるという。このため情報筋は、国王があくまで自ら息子に事態を伝えることにこだわったが、アナログぶりが災いし、連絡の遅れにつながったのではないかと分析している。

女王の死後に伴う一連の行事を取り仕切る「ロンドン橋作戦」に詳しい人物は、実務処理をスムーズに行うには困難な状況であったことを強調する。「(王室では)すべてにおいてそうだが、紙の上では前もって緻密な計画がなされていたのは間違いない。だが現実には悲しみの感情が渦巻く中で行うわけで、混乱は必至だ」と話した。

別の情報筋は、ヘンリー王子と普段連絡を取っている人は今や王室内に「非常に少なく」、王子自身「連絡がつきにくい」状況だと指摘している。

いずれにしても、3時間以上のタイムラグは、ヘンリー王子と王室との確執を物語るものと受け止められている。

女王死去で英王室の様々なしがらみが露呈?

今回の女王死去についての連絡体制から、ほかにも英王室一家をめぐる様々な混乱が透けて見える結果となった。ウィリアム皇太子、アンドルー王子、エドワード王子夫妻は王立空軍機で一緒にスコットランドに向かったが、午後1時半に予定されていた出発時刻は午後2時39分に遅れた。

また、午後2時前にはヘンリー王子が代理人を通じてメーガン妃もスコットランドに同行すると発表したものの、その後訂正される一幕もあった。エドワード王子夫人のソフィー妃とアン王女の夫ティモシー・ローレンス中将は女王と特に親しかったため、それぞれ夫婦で女王の元へ向かったが、キャサリン妃は2人の子供たちとウィンザー城に残った。このため女王の元に向かうのはごく近親の家族のみと見られており、メーガン妃の同行は驚きをもって伝えられた。

しかし約30分後、ヘンリー王子の代理人は、女王の元に行くのはヘンリー王子のみでメーガン妃は同行しないと訂正。当初との食い違いは「間違い」と説明された。

女王の危篤を知らされたあと、ヘンリー王子側は推計3万ポンド(約480万円)をかけてプライベートジェットを手配。英紙サンは、ヘンリー王子がウィリアム皇太子らと同じ空軍機に乗れなかったのは、メーガン妃を連れてくるのは「不適切」だとするチャールズ国王と口論になり乗り遅れたためとしている。

一部では、国王はヘンリー王子に女王の死を伝えようとはしたが電話がつながらず、王子側も父からの電話を待ったものの、その前にネットのニュース速報で女王の死を知ったとも伝えられている。ただ、これについては王室側が反論し、チャールズ国王はあくまで「家族全員に伝えられるまでは」公式発表は待つよう強調していたとしている。

エリザベス女王の死亡診断書は死去から3週間後の先月29日、スコットランドの記録当局が公表。法律上は死亡から8日以内の登録が義務付けられている。診断書には、死亡者を未亡人の「エリザベス・アレクサンドラ・マリー・ウィンザー」の名で、アバディーンシャー、バラターのバルモラル城で、96歳で亡くなったとしている。住居はウィンザー城、職業は「女王陛下」となっている。

死亡診断医は1998年からバルモラル城で女王専属の薬剤師を務めるダグラス・ジェームズ・アラン・グラスと記載されている。グラス医師はバルモラル城近くのブレ―マー村の総合診療医で、女王の死には立ち合ったが「予想してはいなかった」と英紙タイムズに話した。一方で、「この数か月女王の健康状態が懸念されていた」とも話しているという。