NYのソーシャライトでデザイナーのグロリア・ヴァンダービルトさん、95歳で死去

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モデルでデザイナー、作家、ソーシャライトのグロリア・ヴァンダービルト(Gloria Vanderbilt)さんがマンハッタンの自宅で死去した。17日、グロリアさんの息子でCNNのジャーナリスト、アンダーソン・クーパー(Anderson Cooper)さんが番組で明らかにした。95歳だった。

グロリアさんは1924年、ニューヨークで鉄道業で富を築いたコーネリアス・ヴァンダービルト氏の曾孫レジナルド・クレイプール・ヴァンダービルト(Reginald Claypoole Vanderbilt)氏と2番目の妻、グロリア・モーガン(Gloria Morgan)さんの間に生まれた。

グロリアさんが1歳半の時、父親のレジナルドさんが死去。妻のモーガンさんと子供のグロリアさんに500万ドルの信託財産を遺した。幼いグロリアさんは21歳になるまで受け取ることができなかった一方、母親は娘を乳母に預け、ヨーロッパで散財を重ねた。この時、メディアはグロリアさんを「poor little rich girl」(哀れで小さな裕福な少女)と報道した。
義理の姉、ガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニー(Gertrude Vanderbilt Whitney)さんは、娘のグロリアさんが10歳の時、親権を巡り裁判所に提訴。
富豪一族の争いは「世紀の裁判」とメディアで連日報じられ、世間から大きな注目を集めた。裁判の結果、モーガンさんは敗訴し、娘の親権を失った。

グロリアさんは生涯に4度の結婚と3度の離婚歴がある。17歳でハリウッドのエージェントハリウッドエージェントPasquale DiCicco氏と結婚。その後1945年に21歳で指揮者のレオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski)氏と結婚。グロリアさんはCNNのインタビューで、当時64歳のストコフスキー氏と出会って数週間で結婚したと明かしている。

1956年に映画監督のシドニー・ルメット(Sidney Lumet)氏と結婚。1963年に離婚後、ワイアット・クーパー(Wyatt Cooper)氏と結婚した。4度目の結婚は、彼女の唯一の幸せな結婚だったと後に語っている。
クーパー氏との間に、アンダーソンさんとカーターさんをもうけた。夫のワイアット氏は1978年に心臓手術中に死亡。その10年後、息子のカーターさんがアパートから飛び降り自殺する不幸に見舞われた。

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デザイナーや作家として活躍

グロリアさんは、10代の頃からモデルとして働き始め、女優や画家、デザイナー、作家など多方面で活躍した。
70年代後半には、ビジネスパートナーのMohan Murjani氏と自身の名を冠した「グロリア・ヴァンダービルト」ブランドを立ち上げ、ウィメンズ・ジーンズを商品化。テレビコマーシャルを通じてプロモーションを成功させた。
メンズが主流だった時代のウィメンズのジーンズは、年間1億ドルを売り上げるなど大ヒット商品となった。NYタイムズは同ブランドを「最も劇的なアメリカのビジネスの成功物語」と讃えた。
自力で財産を築き上げたが、顧問弁護士に対する訴訟や、申告漏れの税金支払いなどでタウンハウスなどの資産を手放すこととなった。

また、NYタイムズやバニティ・フェアーにも文章を寄稿するなど作家としても活躍。航空事業家のハワード・ヒューズや、フランク・シナトラ、ジーン・ケリー、マーロン・ブランドなどと付き合っており、有名人との恋愛を記した回顧録「It Seemed Important at the Time: A Romance Memoir」(2004)も出版している。
親交のあったトルーマン・カポーティの1958年の小説「ティファニーで朝食を」(Breakfast at Tiffany’s)のホリーは、グロリアさんをモデルとしたと言われている。