ニューオーリンズ音楽のアイコン、ドクター・ジョンが死去

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ドクター・ジョン(Dr. John,)のステージ名で知られる、ニューオーリンズ出身のシンガー・ソングライター、鍵盤奏者のマルコム・レベナック(Malcolm John Rebennack)さん(77歳)が6日朝、亡くなった。各米メディアが報じた。

遺族の声明によると、死因は心臓発作で、亡くなった場所は発表されていない。ハリウッド・レポーターによると、レベナックさんは2017年にステージをキャンセルして以来、公に演奏活動を行なっておらず、ニューオーリンズ地区にある実家で休養していたという。

レベナックさんは1940年ニューオーリンズ生まれ。高校を中退し、10代でギターをメインにクラブやセッションミュージシャンとして活動。1961年に銃撃により指を負傷した後は、主楽器をピアノ、オルガンに切り替えた。

薬物で2年間の服役を終えたのち、1965年にロサンゼルスに移動し、セッションミュージシャンとして名声を確立。ソニー&シェール、キャンド・ヒート、フランクザッパのレコーディングバンド、マザーズ・オブ・インヴェンションの収録に参加した。

その後、ニューオーリンズのR&Bスタイルやサイケロック、神秘主義的な歌詞を組み合わせたスタイルでソロ活動を開始。1968年にはアトランティックレコード下のAtcoよりデビューアルバム「Gris-Gris(グリ-グリ)」をリリースした。

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ドクタージョンは、19世紀のブードゥー教の司祭の名から採ったもので、「バビロン」「レメディーズ」といったアルバムを立て続けに発表し、キャラクターを確立していった。ミック・ジャガーやエリック・クラプトンはドクター・ジョンのファンで、1971年のアルバム「ザ・サン、ムーン&ハーブス」に参加している。

ジェリー・ウェクスラーがプロデュースし、「アイコ・アイコ」や「ティピティーナ」といったニューオーリンズのクラシックソングを収録した1972年のアルバム「ガンボ」がヒットし、11週間連続でチャート入りしたほか、ローリング誌の偉大なアルバム500枚に選ばれた。1973年のアラントゥーサンをプロデューサーに迎えたアルバム「イン・ザ・ライト・プレイス」では、ミーターズがバックに参加。シングル曲「ライト・プレイス・ロング・タイム(Right Place Wrong Time)」がシングルチャートでトップ10入りした。

ソロ活動の一方、ローリングストーンズの「メイン・ストリートのならず者(Exile on Main Street)」やヴァン・モリソン「A Period of Transition」など、数々の作品にゲストミュージシャンとして参加。マーティンスコセッシ監督によって1978年に映画化されたザ・バンドの解散コンサート「ザ・ラスト・ワルツ(The Last Waltz)」にも出演した。

1989年のスタンダードナンバーを収めたアルバム「イン・ア・センチメンタル・ムード」では、リッキー・リー・ジョーンズとのデュエット「メイキン・ウーピー!(Makin’ Whoopee!)」で初めてのグラミー賞を受賞。キャリアを通じて、計6回のグラミーを受賞している。

2011年にはロックの殿堂入りを果たした。

訃報を受け、ブロンディーのボーカル、デボラ・ハリーやビートルズのリンゴ・スターなど、ミュージシャン達が追悼のコメントを発表した。