26人児童を乗せたバスが失踪「チャウチラ誘拐事件」とは?最後の受刑者が仮釈放

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カリフォルニア州のサンフランシスコから南東に200kmほど離れた町、チャウチラで1976年に起きた児童誘拐事件に関し、終身刑で服役していたフレデリック・ウッズ受刑者(70)の仮釈放が認められた。AP通信が伝えた。

26人の児童を乗せたバスが忽然と姿を消した事件は当時、全米最大の大量誘拐事件とされた。共犯者のジェームズおよびリチャード・シェーンフィールド兄弟はすでに仮釈放されている。

3月に仮釈放委員会のメンバー二人が3月に推薦した釈放を、委員会が支持したという。ウッズの仮釈放はこれまで17回却下されており、カリフォルニア州のギャビン・ニューサム知事は委員会に再考を求めるなど、反対の意向を示したという。

ニューサム知事は反対の理由について、身代金目的の誘拐で有罪となったウッズは、禁止品の携帯電話を使って、刑務所からクリスマスツリー農場の経営や金鉱採掘ビジネス、自動車のディーラー事業について助言をするなど「現在も刑務所で金銭がらみの不正行為を続けている」と指摘した。ただしウッズが殺人罪で有罪を受けた受刑者ではないため、州知事は釈放を止めることはできず、より厳密な調査を求めることしかできないという。

ウッズの弁護士ドミニク・バノス氏はAPに、仮釈放委員会はウッズの改善を認め、「釈放後は地域社会に危険や脅威を与えない」ことを認識した結果だと語った。

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チャウチラ誘拐事件とは

1976年7月15日午後、5歳から14歳の児童26人を乗せたスクールバスの前に白いバンが停車した。中から出てきたパンストをかぶりショットガンを持った男2人がバスに乗り込み、このうちの一人がハンドルを握った。もう一人は運転手のフランク・エドワード・エド・レイ(55)に銃を突きつけた。3人目の男はバンに残り、バスの後方を運転した。

まもなくしてバスは竹藪に囲まれた場所に停車。もう一台のバンが用意されており、レイと子供たちは2台のバンに移された。バンは囚人を移動させる護送車を改造したもので、窓は黒く塗られ、内側にはめられた木製のパネルは、子供たちの姿や声が外に漏れないよう工夫されていた。

ここからさらに、犯人らはバンを11時間運転し、約160キロメートル以上も離れたリバモアにある採石場まで運んだ。子供達を下ろすと、犯人らは地中約3メートルに埋めたトラックに、梯子を降りて入るよう命じた。運転手を含む27人が入ったのを確認すると、入り口を重い金属板と重さ約45キログラムの産業用バッテリー2台で塞いだ。

トラック内には、扇風機やマットレス、手製のトイレがあり、水や食料が用意されていた。しかしながら、まもなくすると扇風機が止まり、屋根がへこみはじめた。

水が底をつき始め、みんなが助かるかは、時間の問題と察した運転手レイと最年長で14歳だったマイケル・マーシャルは全員を脱出させることを決意。2人は重ねたマットレスの上から、トラックの屋根に手を伸ばし、開口部に木片を差し込もうと数時間にわたって悪戦苦闘した挙句、入り口を塞いだ金属とバッテリーを動かすことに成功した。監禁から16時間、全員が無事に脱出した。その後27人は、近くの警備小屋まで歩いて事情を説明。警備係から警察に通報され、無事が確保された。

事件の経緯から、警察は、容疑者は採石場に無断で出入りできる人物と判断。採石場のオーナーの息子フレドリック・ニューホール・ウッズ・IVがすぐに浮かんだ。その他二人は友人だったジェームズおよびリチャード・シェーンフィールド兄弟と特定。居場所を突き止めるのに時間がかかったものの、二週間以内に3人を拘束した。ウッズはカナダまで逃亡していたという。

3人は多額の借金を抱えており、犯行は500万ドルの身代金目的だった。実行前、バスのルートを丹念に調べ、護送車の改造やトラックを埋めるなどの計画に1年を費やした。警察が身代金の紙幣に無線機を忍ばせることを想定し、銅製の箱まで用意していた。

しかし当日、計画通りには進まない点が一点あった。警察に脅迫電話をかけると、子供たちの身を案じた親たちから連絡が殺到したことで電話回線がパンク状態となっており、つながらなかった。

しばらく待って電話をかけようと仮眠をとったが、目覚めた時にテレビから聞こえてきたのは、子供たちの脱出のニュースだった。

裁判では3人とも、身代金誘拐と窃盗などの罪で有罪を認め、終身刑を言い渡された。リチャード・シェーンフィールドは2012年に、兄弟のジェームズは2015年に仮釈放されていた。