ケネディ暗殺事件 元シークレットサービス職員が『魔法の銃弾』理論に疑問

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発生から60年が経った今も陰謀説が絶えないケネディ大統領暗殺事件。この度、大統領夫妻のパレードに同行していたシークレット・サービスの元エージェントが、米紙の取材に、「単一銃弾」理論(皮肉を込めて魔法の銃弾理論とも)に疑問を投げかける体験を語った。専門家からは、オズワルド単独犯行説を覆す可能性を指摘する声が上がっている。

ニューヨークタイムズのインタビューに応えたのはポール・ランディス氏(88)。28歳だったランディス氏はジャクリーン・ケネディ大統領夫人の護衛を担当していた。事件発生時、大統領夫妻とテキサス州のコナリー知事夫妻を乗せたリムジンから数メートル後方のキャデラックに乗車していた。

事件一週間後に発足したウォーレン委員会は調査報告書で、元海兵隊員リー・ハーヴェイ・オズワルドが、教科書倉庫ビルの6階窓からオープンカーでパレードする大統領にライフルで銃弾を3発発射したと結論。1発目は外れ、頭部に命中した3発目が致命傷になったとした。

2発目の銃弾は大統領の背中から喉を抜けて、前列に着席していたコナリー知事に命中。コナリー氏の胸部を抜け、右手首を貫通し、最後は左太腿にまで到達した。銃弾は、コナリー知事を病院に搬送した後、それに使用した担架を移動させる最中に発見された。弾はほぼ無傷の状態で回収されたことから、否定論者らは単一の銃弾ですべての負傷を説明できないと主張。複数犯説を唱える根拠の一部とされている。

ランディス氏はタイムズに、2発目の銃弾を発見したのは自分であり、病院ではなくケネディ大統領が座っていた後部座席のシートにあったと明かした。

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車が病院に到着した後に発見し、病院に入っていって担架に乗せられたケネディ大統領の隣に置いたと語った。 コナリー知事の担架から発見された点について、両者の担架が押し合わされた際に移動したのではないかとの考えを示した。

また、魔法の銃弾はケネディ大統領の背中に命中したものの、深く貫通せず、遺体がリムジンから降ろされる前に飛び出たのではないかと見解を語った。

ランディス氏は近年になって、この話をシークレット・サービスの元長官など複数の重要人物に打ち明けはじめたという。

ランディス氏の記憶の整理を助けたという弁護士で数冊の歴史書の著者でもあるジェームズ・ロベナルト氏は、話が本当であれば第2の狙撃犯の問題が再浮上する可能性があると指摘。「魔法の銃弾が大統領の背中で止まったのならば、ウォーレン報告書の中心である単一銃弾理論が間違いであることを意味する」と語った。コナリー知事にもう一つの弾丸が命中したとすれば、オズワルドがそれほど素速くリロードするのは不可能で、別人による可能性があると述べた。

一方、事件から60年が経った告白には疑問も投げかけられている。

1993年の著書『Case Closed』でオズワルドの単独犯行と結論づけたジェラルド・ポズナー氏は「一般的に人の記憶は時間の経過とともに改善しない」とした上で「発砲回数を含む、暗殺事件の非常に重大な詳細について懐疑的だ」と語った。

ランディス氏は事件の翌週に提出した2つの陳述書で、銃弾の発見を報告しなかったことに加え、銃声は2回で「3回目の銃声を聞いた覚えがない」と説明していた。さらに大統領が搬送された治療室に入ったことにも触れず、大統領夫人が入ってきた際にドアの外にいたと報告していた。

この点について、ランディス氏は報告に誤りがあったとしつつ、大統領夫人を苦難から救うことに集中し、提出した内容には十分な注意を払っていなかったと説明。当時、銃弾について言及することは考えなかったと述べた。

「魔法の銃弾」について公式の報告が自身の記憶と異なっていることに気がついたのは2014年だったが、担架に銃弾を置いたのが間違いだったとの思いから、名乗り出なかったという。「自分が何か間違ったことをしたのではないかという恐怖で、それについて話すべきではなかった」と語った。

ランディス氏はこれらの記憶を、10月10日に発売を予定する回顧録『The Final Witness: A Kennedy Secret Service Agent Breaks His Silence After Sixty Years』の中で綴っているという。