FBIホームページより

米国史上最大の損害をもたらしたスパイの一人といわれたアナ・モンテス受刑者(65)が6日、服役していたテキサス州の連邦刑務所から仮釈放された。

国防情報局でキューバ問題の責任者を務めたモンテス氏は、入局した1985年から15年以上にわたって、機密情報をキューバの諜報機関に流すなど、2重スパイとして活動していた。

2001年に逮捕、翌年に禁錮25年の刑が確定した。ワシントンポスト紙は、良好な受刑態度が評価されたと伝えている。同紙は、釈放条件は明らかにされていないとしつつ、今後5年間監視下に置かれ、ネットやコンピューターの使用が監視されるほか、許可なく外国政府と接触することが禁止されるだろうとしている。

プエルトリコ系の家庭に生まれたモンテス氏は、1975年にボルチモアの高校を卒業した後、バージニア大学で国際関係を学び、学士号を取得。ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院に進み、修士号を取得した。大学院在学中、中央アメリカの反政府組織に対する支援など、レーガン政権の対共産主義政策に反感を抱くようになったといい、キューバの諜報機関にスカウトされたのもこの頃だったという。

1985年に、当時7000人を超える軍人および文民の職員から成る国防情報局に入局し、1992年にキューバ問題の最高責任者に就任した。同僚の間で「キューバの女王」と呼ばれていたという。

ポスト紙によると、モンテス氏は約17年間にわたって、政府の機密情報を収集、キューバの諜報員に流していた。キューバで活動する米国の工作員の身元を漏らしたほか、機密写真や文書を提供し、キューバの軍事施設に対する米国の監視活動も知らせていた。

ジョージ・W・ブッシュ政権で国家対情報局長をつとめたミシェル・ヴァン・クリーヴ氏は、2012年の議会公聴会で「米国史上で最もダメージを与えたスパイの一人だ」と指摘。「彼女は事実上、キューバについてわれわれが知っていること、キューバでどのように活動するか、対キューバ活動のすべてをを漏らした」と述べ、「キューバはわれわれが知っていることをすべてわかっていて、それを自分達に有利になるよう利用できた」と語った。

FBIによると、モンテス氏は短波ラジオで暗号を受け取り、ポケベル、公衆電話を使ってキューバのハンドラーと連絡をとっていた。2001年にモンテス氏の自宅を捜索した捜査当局は、ラジオやイヤホン、ラップトップを発見。パソコンのハードドライブを複製し、削除されたテキストを復元するなどして、証拠を押さえるにいたった。

1月に事件に関する著書を出版したジム・ポップキン氏は、ポスト紙のインタビューに、モンテス氏は、政府の仕事を5時に終え、夜中は自宅で東芝のノートパソコンに機密情報を打ち込んでいたと説明。「17年分の機密情報をほぼ毎日入力し、それをディスクに保存して、都合が良く安全な時にハンドラーと会っていた」と話した。

1996年にモンテス氏の行動に疑いを抱いた同僚が、 安全保障担当者に報告し、本人との面接が行われたが、それ以外の対応が取られなかった。この4年後、FBIがキューバのスパイの特定に務めていると知った安全保障担当者から通報が寄せられ、モンテス氏の捜査に発展した。

犯行の動機は純粋にイデオロギーによるもので、経費以外の金銭は一切受け取っていなかったという。

モンテス氏は当時、法廷で「法律よりも良心に従った」と証言。「政府のキューバ政策は残酷で不公平であり、隣国に相応しくないと考えている。私たちの価値観と政治システムをキューバに押し付けようとするその取り組みから、島を守るのを助ける義務があると感じていた」と語ったという。