ヘンリー王子 母ダイアナ妃の死に今も疑問

1962

10日に回顧録「スペア」の発売を控えるヘンリー王子が、8日放送の米CBSの看板番組「60ミニッツ」のインタビューに出演。1997年に自動車事故で他界した母ダイアナ妃の死の真相は、十分に明らかになっていないとの考えを示した。

ヘンリー王子は、父チャールズ国王から、事故を知らされた日を振り返りつつ、「長い間、彼女が他界したことを拒絶していた」と説明。「計画の一部なのかもしれない」と考え、母親が突然姿を現すのではないかと、希望を持ち続けていたと明かした。ウィリアム皇太子も、同様の考えを抱いていたという。

著書では、「今日こそがその日だ。彼女が戻ってくる日だ」と、度々自分に言い聞かせたエピソードも明かされている。

大人になってもその希望は消えず、20歳の時、警察に事故資料を見せてくれるよう頼んだという。理由について「彼女が車に乗っていたという証拠。彼女が負傷した証拠。そして、トンネルまで追いかけたパパラッチが、車の後部座席で半死の状態の彼女の写真を撮っていた証拠だ」と話した。

閲覧できたのは事故写真の一部で、私設秘書と顧問が、悲劇的な写真のすべてを見ることを王子に思いとどまらせたという。

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それでも母親が生きているかもしれないと信じ続け、23歳で、事故現場を自分の目で確かめるためパリを訪れた。

「アンリ・ポールが運転していたスピードで、車のコントロールを失って柱に突っ込み、車にいたほぼ全員を殺すことが可能なのか、確かめたかった」と語った。

事故から9年後の2006年、ロンドン警視庁は、ダイアナ妃の死亡を殺人ではなく「悲劇的な事故」と結論付けた。当時行われた会見で、ジョン・スティーブンス警視総監は、運転手からフランスの法定制限の3倍の水準のアルコールが検出され、制限速度の2倍で運転していたと指摘。さらに多くのパパラッチに追われていたとしつつ、「このような事故は、旅客機の大事故に似ている。長い連鎖がある。その連鎖のどれかを外せば、このような事態は起きなかっただろう」と話した。

ヘンリー王子はインタビューで、調査結果に納得がいかず、兄とともに死因審問の再開を検討したと振り返り、「あまりに多くのギャップや矛盾があった。辻褄が合わず、筋が通らないことばかりだったからだ 」と語った。

現在は再開を望んでいないとしつつも、母親の身に起きたことについて、「必要とする答え」を得られたかと聞かれると、「そう思わない。兄もそうだ。世界も同じだと思う」と語った。