ジョン・レノンさん没後40年、NYでファン追悼

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ジョンレノン没後40年
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1980年12月8日、ジョン・レノン(John Lennon)さんが、アッパーウエストサイドにある自宅「ダコタハウス」前で射殺された。

レノンさんの没後40年を追悼するため、セントラルパークのストロベリーフィールズには、多くのファンが集まった。ビートルズの楽曲「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」にちなんで名付けられた記念碑は、レノンさんの45歳の誕生日、1985年10月9日に設けられた。
イマジンのモザイクの上には、多くの花や雑誌、写真などが供えられ、歌でレノンさんを偲んだ。

ジョンレノン没後40年
ジョンレノン没後40年

フェイスブックでレノンさんのファングループを運営する女性は、この日の様子を世界中のビートルズファンに向けて配信するため、ペンシルベニア州ピッツバーグから車で訪れた。「事件が起きたのは昨日のことのように感じる。彼の死を悼むことはできない。彼の人生を祝福したい思っている」と語った。

ミュージシャンの男性は、11歳の時に2階のベッドの中で音楽ラジオ番組を聞いていた時、父が下で見ていた”マンデーナイトフットボール”で銃撃を知った。「今まで聞いた中で最も衝撃的だった。そんなことありえないと思った」という。1987年以来、毎年ストロベリーフィールズを訪れており「ここに来るたび、彼が現れてくれるような気がする」と語った。

オノ・ヨーコ氏は銃規制を訴え

レノンさんを殺害したマーク・ディヴィッド・チャップマン(Mark David Chapman)は、現在も服役している。

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オノ・ヨーコ氏はSNSで「愛する人の死は、空虚感に苛まれる。40年経った今もなお、ショーンとジュリアン、私は彼を恋しく思う」とメッセージを綴った。レノンさんの血がついた眼鏡の写真には「ジョン・レノンが1980年12月8日に銃で殺されて以降、米国で143万6,000人以上が銃撃で死亡した」と書かれている。「もう十分だ」などのハッシュタグで銃規制を訴えた。

ニューヨークのデブラシオ市長は定例会見で「われわれが育った時代を定義づける、最も重要な文化的人物だ。レノンはアイコンだ。ビートルズだけでなく、世界を変える歌詞でヒットソングを生み出したソロアーティストとして」と述べた。「彼とオノ・ヨーコは常に、平和と愛を促進してきた。その愛は今もここで感じ取ることができ、私をその時代へと連れ戻してくれる。それは素晴らしいことだ。みな彼を愛している」と語った。