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ケネディ暗殺から54年 トランプ大統領 残された機密資料を公開の意向

21日、トランプ大統領は、アメリカ国立公文書記録管理局が管理するケネディ大統領暗殺に関する最後の未公開資料を、公開する意向であることをツイッターで表明した。

これまで公にされていない資料の数は約3,100にのぼり、さらに公文書記録管理局には、部分的公開にとどまっている資料など、約3万ページが保管されている。これら資料の公開は、1992年にジョージ・H・W・ブッシュ大統領のもとで成立した法律「Kennedy Assassination Records Collection Act」によるもので、法施行から25年のうちに公開が義務付けられている。

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ケネディ大統領暗殺に関しては、国家の関与など、陰謀説がこれまで多くささやかれてきたが、残された極秘文書にこれらの説に強く関連するものは含まれていないと見られている。

一方で、複数の研究者は、犯人のリー・ハーヴェイ・オズワルドが犯行前に訪れたメキシコシティでの活動や、犯行後にCIAが作成したオズワルドのプロファイルが明らかになると期待する。なお、ジョンソン大統領によって設立されたウォーレン委員会によると、オズワルドはメキシコシシティでビザを得るためにソビエト大使館とキューバ大使館を訪問したとされている。

ワシントンポスト紙によると、資料公開に際し、複数の機関が大統領に公開を控えるよう働きかけを行なったという。しかしながら、ホワイトハウスは声明で「国家機関より国家安全保障や法執行上の正当な理由が提出されない限り」としながらも、「大統領はこれらの資料が透明性の観点からすべて公にされるべきだと考えている。」と発表した。

今なお根強い陰謀説

オズワルド単独犯による暗殺事件という捜査結果に対し、米国では陰謀説を唱える人も多い。USA TODAYがまとめた6つの陰謀説を紹介する。

CIA説

キューバのカストロ政権を打倒するため、CIAはアイゼンハワー政権時代から侵攻計画を立てていた。JFK政権に変わり、計画実行の直前で、上陸の場所や軍隊の規模など一部が変更になり、それが大きな失敗につながった(1961年の「ピッグス湾事件,Bay of Pigs Invasion」)。侵攻失敗の後、当時のダレスCIA長官は解任された。この事件でCIAの恨みをかっていたという説。

マフィア説

JFK政権で、司法長官を務めていた弟のロバート・ケネディが、組織犯罪の取り締まりを始め、かつてJFKの政治資金集めなどに協力したマフィアらの怒りをかった。また、 反カストロ亡命グループに協力していたマフィアが、JFKを倒そうとしていた説もある。

ソビエト説

1962年のキューバ危機後、米国に譲歩したとして1964年フルシチョフは失脚。ソ連国家保安委員会(KGB)には、JFKを忌み嫌うべき理由が十分にあったという。
暗殺の実行に及んだリー・ハーヴェイ・オズワルドは、1950年後半にソビエトに亡命し、KGBの情報部員として働いていたという話もあり、ソビエト政権によるものという説。

リンドン・ジョンソン説

作家、Craig Zirbel氏によると、当時の副大統領リンドン・ジョンソン氏(Lyndon Johnson)は、ケネディ大統領とは政治の手法や個人的な問題など全てが違っていたという。金銭スキャンダルを追求されていたことや、事件がジョンソン氏の地元テキサスで事件が起こったことも、旅行の詳細など全てをコントロールが可能として、暗殺の疑惑を深めさせた。

別の狙撃班が存在する説

事件発生当時、JFKが乗った右側のフェンスの後ろにある茂みに、2人目の狙撃班がいたという説。

傘からダーツ説!?

作家でキャスターのビル・オライリー(Bill O’Reilly)氏は、傘を差した男の先端から、ダーツが発射され、それが彼の首にささったと主張。しかしこれは70年代後半に誤りとされた。

最後に発表される機密資料の中には、世間を驚かせるほど新しい情報な含まれないとの見方が強いが、世間の関心は依然高い。JFK暗殺事件の謎が再燃することには間違いがなさそうだ。

10月25日(水)、トランプ大統領は、いよいよ明日資料が公開されるとのメッセージをツイッターとfacebookに投稿した。

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