エリザベス女王の死は、悲しみが伝えられる一方で、植民地主義や奴隷貿易、さらに賠償の問題まで、英国や王室の暗い歴史が検証されるべきといった声など、さまざまな反応を生み出した。

ワシントンポスト紙のコラムニスト、カレン・アティア氏は、女王の死から2日後の10日に投稿したオプエドで、エリザベス女王と大英帝国の「醜い真実」が話されなければならないと主張。女王が「第二次世界大戦後の礼節と安定の象徴」であるのは、先進国の空想と批判した。バーミンガム大学のケヒンデ・アンドルー教授はMSNBCのインタビューで、女王は「白人至上主義」と「植民地主義」の象徴と考えを示し、悲しんでいないと話した。

この一方、先週CNNで放送された奴隷制の賠償に関する王室専門家のインタビューがネットでシェアされ、話題になっている。

一部の人々が「植民地主義に対する賠償」を要求するのは「当然」とするアンカーのドン・レモン氏に対し、王室関連の話題にコメンテーターとして各種メディアに出演しているヒラリー・フォードウィック氏は、「(問題を)サプライチェーンの始まりに遡らなければならないという点からすると、あなたの賠償に関する考えは正しい」と主張。続けて「それはアフリカだ」と指摘した。

さらに、世界中で奴隷制が盛んだった時代、最初に廃止をしたのは英国だとした上で、「奴隷貿易をやめさせようとした英国の海兵隊員2,000人が、公海上で死亡した。なぜなら、アフリカの王たちが自国民を駆り集めて、檻に入れてビーチで待っていたからだ」と説明した。

王立海軍博物館によると、奴隷制の廃止が決定した翌年の1808年、英国海軍は奴隷貿易を取り締まるパトロールを開始し、1819年には西アフリカに海軍基地を設けて取り締まりを行った。1808年から1860年の間に、西アフリカの部隊は1600隻を押収し、15万人のアフリカ人を解放した。ただし現地の厳しい環境では、病気で命を落とすものも多く、1830年から1865年の間に1587人が死亡したとしている。

フォードウィック氏は「あなたは完全に正しい。賠償が必要ならば、サプライチェーンの最初に戻らなければならない」と最初の主張に戻り、「自国の民を集めて、檻の中で手錠をかけたのは誰だろうか?それこそが出発点だ」と話した。さらに、奴隷貿易を止めようとして死亡した兵士の家族らも、賠償を受けるべきかもしれないと加え、締めくくった。

話し終えたフォードウィック氏に、レモン氏は「興味深い議論でした」と述べつつ、内容に触れることなくインタビューを終えた。

ネットでは「複雑な問題について、興味深い点を指摘している」「補償を提供する方法は確かに簡単ではない」といった同意の声があがる一方、「自己防衛的で単純化した、もっともらしい主張」「とても人種差別的」と非難するコメントも投稿されている。

英国はポルトガルと並ぶ主要な奴隷貿易国で、1640年から1807年の間に310万人のアフリカ人を植民地に移送したとされている。リーダーズ・ダイジェストは、植民地主義は、女王の治世の一部であり、その象徴とされ続けたが、一方で、女王の時代は、55カ国以上が独立を獲得し、脱植民地化とイギリス連邦を確率したことで評価されているとしている。