「キング・オブ・トーク」米司会者ラリー・キングさん 87歳で死去

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伝説のトークショー司会者、ラリー・キング(Larry King)さんが23日、ロサンゼルスのシダーズサイナイ医療センターで死去した。87歳だった。キング氏が共同で設立したメディア、オラメディア(Ora Media)が発表した。死因については明らかにされていない。

キング氏は過去2回、心臓発作に見舞われ、バイパス手術を受けていた。糖尿病などの持病があった。肺がんの手術に加え、2019年には狭心症の手術を受けたことも明らかにしている。年明けの2日、新型コロナウィルスに感染し、入院していることが報じられていた。

キング氏は1985年から2010年まで、CNNのトーク番組「ラリー・キング・ライブ」(Larry King Live)の司会を務めた。25年間で6000エピソードが放送され、ギネス世界記録には「同じ時間枠で同じネットワーク、同じ司会者で最も長く放送された番組」として登録されている。

番組は幅広いトピックを扱い、ゲストには歴代の大統領や、ゴルバチョフ元ソ連大統領、サッチャー元英首相、ダライ・ラマ14世、ネルソン・マンデラなど世界のリーダーから、セレブリティ、起業家、災害や事件の犠牲者などが出演。
これまでに、5万人以上にインタビューしたと報じられている。

トランプ氏も不動産王だった時代から頻繁に番組に出演していた。キング氏はCNNのインタビューで「トランプ氏は素晴らしい人物だ。大統領になるとは思っていなかったが」と語っている。

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5万人にインタビュー

キング氏(本名ローレンス・ハーベイ・ゼイガー、Lawrence Harvey Zeiger)氏は1933年、オーストリアとベラルーシの移民の子供として、ブルックリンのユダヤ系の家庭に生まれた。高校卒業後、配達人などの職を経て、1950年代にフロリダ州のラジオ局でキャリアをスタート。

ラリー・キングの名前は、酒の広告から取ったもので、初めて番組を担当した際、ラジオ局のマネージャーによって命名されたという。

1978年からリスナー参加型のラジオ番組「The Larry King Show」の司会を務め、全国的に知られるようになった。同番組は1982年、優秀番組に送られるピーボディ賞を受賞し、最終的には500の放送局で放送された。

1985年にCNNの創業者テッド・ターナー氏に雇われ、トーク番組「ラリー・キング・ライブ」がスタートした。初のゲストは、ニューヨーク州知事の故マリオ・クオモ氏(アンドリュー・クオモ現州知事の父)だったという。

1995年に起きたO・J・シンプソン事件では、弁護士や家族などが次々と番組に出演した。ニューヨークタイムズによると、キング氏が番組内で問題を深く掘り下げることはなく、センセーショナルに扱ったとして、一部の批評家から非難の声が上がった。

同紙によると、キング氏は知識人を装っておらず、自身をジャーナリストとみなしていなかったという。政治家のゲストに対しても、厳しい質問をすることは滅多になく、ゲストの面白い話を引き出すためのソフトな問いかけを行った。

またインタビューの準備をすることは、ほとんどなかったという。本の著者などをゲストに招いた際には「何に関する本ですか?」「なぜそれを書いたのですか?」と短い質問を投げかけたという。

キング氏の番組のプロデューサー、ウエンディ・ウォーカー(Wendy Walker)氏は、CNNに対し「すべての大統領はキング氏と話すことを、心地よく感じていたと思う。今でも誰もキング氏が、民主党だったのか共和党だったのか知らないだろう」と語っている。

その後ラリー氏の番組は、MSNBCのレイチェル・マドー氏や、Foxニュースのショーン・ハニティ氏など党派的な主張を押し出した番組に視聴率を奪われ、2010年12月、ピアース・モーガン氏が司会の番組に置き変えられた。

2012年からは、キング氏が共同で設立したオンデマンドのデジタルネットワーク、オラTVで、「ラリー・キング・ナウ」(Larry King Now)がスタートした。

プライベートでは、8回結婚しており、1960年と1978年に自己破産している。1971年には元ビジネスパートナーとの金銭トラブルにより、詐欺で逮捕・起訴された。後に訴えは取り下げられたが、訴訟により、すべての仕事を一時失った。