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「米同時多発テロ」ハイジャックを最初に知らせたのは

2001年9月11日に起きた米同時多発テロ事件から、今年で20年目を迎える。この日、テロリストにハイジャックされた4機の旅客機のうち2機が、ニューヨークにある2棟の世界貿易センタービルに、1機がヴァージニア州アーリントンにあるペンタゴン(米国防総省)に激突。もう1機はペンシルベニア州シャンクスビルに墜落した。この攻撃で合計2977人の尊い命が失われた。

CBSニュースによると、旅客機がハイジャックされたことを最初に伝えたのは、最初にビルに突入したアメリカン航空11便に乗っていた客室乗務員のベティ・アン・オング(Betty Ann Ong)さん(45)だった。

午前7時59分にボストンのローガン国際空港を離陸し、ロサンゼルスへ向かったアメリカン航空は、14分後にハイジャックされ、ニューヨーク方面に進路を変更した。

オングさんはこの日、通常の勤務日ではなかったが、特別にシフトに入っていた。近く姉妹とのハワイ旅行を予定していたという。

5人のハイジャック犯は、ファーストクラスとビジネスクラスの席に座っていた。ベティさんは機内後部にいたことから、地上のスタッフと交信することができたという。

8時20分、オペレーターに連絡を取ったオングさんは、声を潜めながらも落ち着いた声で「コクピットからは返事がない。誰かがビジネスクラスで刺された。ビジネスクラスでは息ができない。誰かが催涙ガスか何かを使用した」と状況を説明。「この航空機はハイジャックされた」と報告した

説明によって、ハイジャック犯が客室乗務員に重傷を負わせ、ビジネスクラスにいた乗客1人の喉を切りつけた後、コクピットに押し入り、2人の副操縦士を殺害したことが分かった。彼らの座席を伝えたことで、実行犯の早期特定にも繋がったという。

もう1人の客室乗務員マデリン・スウィーニー(Madeline Sweeney)さんも8時20分にフライトサービスマネージャーに連絡を取り、その時の状況を語っていた。これらの報告を元に、連邦航空局は、歴史上初めて領空を閉鎖した。

8時45分、スウィーニーさんは「水が見える。ビルが見える」と話したのち、一瞬間を置いて「オー、マイ・ゴッド」と静かに述べたという。オングさんは「われわれのために祈って。われわれのために祈って」と繰り返した。

この直後の8時46分、アメリカン航空11便は世界貿易センタービルのノースタワーに激突した。

「9/11 メモリアル」(mashupNY)

オングさんは、中国移民の母親のもと、サンフランシスコで生まれた。ニューヨークポスト紙によると、両親とビーフージャーキー工場で働いていた際、強盗が押し入る事件があった。姉のキャシーさんによると、オングさんは取り乱すことなく、銃を手に取って強盗を追い払うなど、勇敢な一面を見せたことがあったという。

キャシーさんはテロ事件の後、搭乗していた客室乗務員がテロリストに関する有力な情報を提供してくれたとニュースで聞き、「それは彼女だと思った」と同紙に語っている。

兄のハリーさんはCBSニュースのインタビューに対し、「その日の朝、世界中で6,000機もの飛行機が飛んでいた。なぜ彼女がその中の一機に乗っていたのだろうかといつも思う。人々は気持ちを切り替えて前に進もうと言うが、いまだに難しい」と心境を語った。父親は2007年に亡くなるまで、娘がいつか無事に自宅に帰ってきてくれると希望を持っていたという。

ハリーさんは、オングさんをはじめ犠牲となった人々、消防士や警官、その日に愛や勇気を示してくれた人々を忘れないで欲しいと語っている。

家族はオングさんのレガシーを受け継ぐため、2004年に財団を創立。サンフランシスコのチャイナタウンにオングの名前を冠したリクリエーションセンターを建設し、若者やシニア向けのプログラムを提供しているという。

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